Volunteacher:大学生講師のブログ

教育系ボランティアで教師をしている大学生のブログです。教育に関する話題や、趣味の話題がメインです。

レビュー:みんなの道徳解体新書(ちくもプリマ―新書)

 プルガです。
 
 今回の記事では本のレビューを書いてみたいと思います。というのも私の道徳観でも大いに参考にしている本で、非常に読んでいて興味深いと感じた本であると感じたためです。
 
 こちらの本です。
 
 
みんなの道徳解体新書 (ちくまプリマー新書)
パオロ マッツァリーノ
筑摩書房
売り上げランキング: 7,764
 この本は既に表紙から普通の道徳の理論書とは異なる点があります。まずは筆者の名前です。この本はイタリア人を彷彿とさせる名前で、海外の高度な専門書感を演出していますが、これはあくまでペンネームであり、作者は日本人です(詳細不明ですが、ネット上に正体に関する情報が掲載されています。)。ちなみに筆者の出身大学はイタリアン大学だそうです。もう既に怪しさ満点です。

 また、タイトル的には高度な専門書を感じさせますが、裏表紙にあるあらすじを見ると、このように書かれています。

 

日本人の道徳心は本当に低下しているの?

小中学校での道徳教科必修化の前に

道徳の仕組みをくわしく勉強してみよう!

学校では教えてくれない、道徳の「なぜ?」が分かります。

                          本書背表紙より

 

 難しい本にありがちな「である調」どころか「緩いですます調」で書かれており、俗な感じに仕上がっています。

 

 この本は簡単に言えば、「現代の道徳」と「道徳の歴史」を通じて現代の道徳教育に留まらずもっと根本的な教育概念にまでメスを入れる、というようなものです。

 

「どうせ道徳教育とかで難しい倫理学の話とかのせるんでしょ?」

 

 このようなことは一切ありません。具体例等も現実に即しており、シンプルでわかりやすいです。この本を勧めてくださった先生は「高校生の課題図書になっているから読みやすい」とおっしゃっていましたが、個人的には中学生でも十分いけるレベルだと思います。そのぐらいさくさく読み進められますね。早い人なら2、3時間で読み終わると思います。

 

概略はここまでに、本書の魅力を本文から内容を少し引用しつつ、説明したいと思います。

 

・キレイごと一切なし!ストレートすぎるツッコミ
 
 本書では見栄えの良くなるような言葉は使われていません。教壇に立つ先生では間違いなく言えないようなストレートかつ非常に的を射ているツッコミがとても痛快で、物によっては笑えます。
 
 本書の第三章で出てくる「道徳副読本傑作選」。ここでは道徳のいわゆる「読み物資料に」焦点を当て、その中でも問題作を解説する章です。複数の題材を挙げているので、一つ一つのあらすじ・解説は短いですが、非常に的確な指摘が飛んできます。
 
例えば、本書P40をみると、
 「ひろき、おふろそうじ、いっしょにやってみようか」
 と、おかあさんにいわれたひろきくん。何度か手伝ううちに、ひとりでふろ掃除ができるようになります。
 すると今度はお父さんから「ひろきが洗ったおふろはぴかぴかで気持ちいいね」とほめられます。ひろきが得意げになっていると見るや、お母さんが畳みかけます。
 「ひとりできちんとできるようになったし、今日からはひろきのお仕事にしましょうか」
「やったあ」と喜ぶひろき。
 
 
というように各題材の簡単なあらすじがあります。見た感じは小学生でやっても不思議ではないようなものばかりです。ところが、この作者はこの題材には非常に短く批判します。
 

ひろき、目を覚ませ!オトナにダマされてるぞ!

 

 この文面をみた場所が本屋の立ち読みスペースだったので、笑いをこらえるのに必死でした。他にも面白い批判が多く、電車の中で読むには不意打ちのツッコミに注意しなければならないレベルです。

 

 同時に、これまで自分が道徳の授業で読んだ資料の危うさにも気づかされます。やっぱり道徳の教材は論理的に筋が通っていない点が多く、その点を感情論でごまかそうとしている感が否めないんです。その詭弁をうまくついた解説は、痛快であるのと同時に非常に感心させられます。

 

 本書は、一概に教材の批判ばかりを行っているわけでななく良作な題材は第4章で当に評価しています。長いので引用はしませんが、教育出版の6年の教材には野口英世に関する題材が載っていますが、この教材は野口英世の「ダメなところ」を載せるというアプローチをしました。これに関しては良作であると評価し、最後にこのように締めくくっています。

 

人間のダメなところを隠してはいけません。ダメなところもおもしろいじゃないか、と受け入れる心を持たない人には、人間を理解することはできません。                  本書P82より引用

 

先程のひろきくんの話とは打って変わって真面目な解説だと思われますが、「核心をつく」という根本的な点は変わっていないのであると、本書を読んで感じさせられます。

 

・道徳の根本的な問題にまで触れる

 

 1、2章で道徳の歴史的変遷や副読本の概略を説明し、面白く、テンポの良い3、4、5章で読者を十分にひきつけてから、この本の本題に入ります。

 

 まずは道徳副読本に対する批判。「3章で散々したんじゃないの?」というツッコミが飛んできそうですが、3章のように、ピックアップしたものではなく、全体的に共通する点の批判を行っています。

 

 次いで大人が勉強しなくなる仕組みと、命の大切さの仕組みの解説を行います。この辺りは、かなり真面目な話ですが、作者のそれを感じさせない書き口で、まるで実際に話を聞いているかのように自然に頭に入ってきます。命の大切さの仕組みの解説では、子供に「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問に対して、このように答えると言っています。

 

「きみの質問はそもそもまちがっています。ほとんどのオトナたちは、人を殺してもいいと考えてるのですから」       本書P165より引用

 

 と言い、その後に死刑制度や、交通事故などの具体例を挙げています。最初は呆気にとられますが、明快でとても筋が通っています。話題的にはかなり高度な道徳の議論であるにも関わらず、中学生でも読めると感じるのは具体例の明快さと、難しいと感じさせない的確な表現にあると感じます。これこそが、この作者の魅力であると私は思いますね。

 

・おわりに

 

 私は同作者の「昔はよかった病(新潮文庫)」を持っているのですが、本書の7、8章とスタイルは似ています。この本が楽しめるなら、パオロ・マッツァリーノの他の書物も楽しめると思います。総じて「読みやすい」という点が最大の魅力であるので、国語の長文に慣れていない中学生が「作者の意図をつかみ取る」練習としても最適なものだと感じます。

 

まだ、パオロ・マッツァリーノは、「反社会学講座ブログ」にて本書と変わらない論調で、主に時事ネタについての議論を展開しています。(http://pmazzarino.blog.fc2.com/)

 

これを読んでから購入を検討しても良いでしょう。

 

時事ネタ:合格を金で買うことについて

プルガです。

 

 またしても時事ネタなのですが、若者の努力を無駄にするという、教育界としてはかなり恐ろしい部類の事件ではないかと思い、記事にしました。東京医科大学での裏口入学」事件です。東京医大は新宿にあるのもあって私も大学の紹介状の下で行くこともあるのですが、旺文社のデータによると偏差値が67.5という他学部も含めて考えれば十分エリートに当たる大学です。


 今回の他とは違う問題点は同事件で逮捕された佐藤太容疑者が文部科学省の科学技術・学術政策局長というポストであるということを悪用している点です。同容疑者が、文部科学省が行っている私立大学支援事業について助言することの見返りとして、東京医大の理事長と学長が、受験した息子の点数をいじるように指示しており、結果として東京医大は支援の対象と認定され5年にわたり1億5000万円を受け取る予定だったとされます。つまるところ1億5000万円という税金を賄賂にした裏口入学なところが、ユニークな点です。


 もちろん今回は賄賂の財源が税金なので尚更問題なのですが、話しを変えて、仮に本人のポケットマネーだったと仮定します(つまり一般に言われている「裏口入学」ですね)。それでも単に「親がどのくらい大学に金を出したか」で合格水準が定まるからという理由で不公平な入試である言えるでしょうか。一見すれば頷きたくもなりますが、これに関しては「なんとも言えない」というのが私の考えです。なぜなら、大学にはそれぞれの「アドミッション・ポリシー」があるからです。


 つまるところ募集要項なわけですが、この募集要項の作成に関して大学は大きな裁量があります。例えばスポーツ推薦が典型例です。スポーツができるかどうかは大学の意義である「研究による真実探求」には全く関係がなくても認められていますよね。これは大学が「~という目的で必要である(研究目的でなくてもよい)」ということをきちんと明記し、それに応じた枠を設けているからです。


例えば、明治大学の「スポーツ特別入学試験」を見てみましょう。

『この特別入学試験制度は、高等学校において学業に精励するとともにスポーツ活動に積極的に参加して優秀な成績を収めた受験生を受入れ、更なる一層の体育会運動部全体の強化と、また、「個」を強くする大学の代表として、心身ともに優秀な人材を育成し、立派な社会人として送り出すことを目的としています。』
(https://www.meiji.ac.jp/shogaku/admission/special.htmlより引用)


 このような書き口ですが、要するに「運動できるやつを受からせて、スポーツを通じて「明治大学スゲー」ってアピールしたいから、合格させるし育成もするよ」ということです。ネームバリューの向上という立派な営利目的ですが、一般的にスポーツ推薦は認められているのです。


 ですから、親がお金を出したかどうかで合格が定まるという自体は一見すると不公平に見えますが、同じような論理で考えれば「大学が現在資金不足に陥っており、できるだけ多くの資金を獲得したいという」目的の下、「特定の額を大学に収めてくれれば別枠で受験させてあげるよ」という入試の要綱をきちんと明記すれば(世間からの批判は多いかもしれませんが)認められると考えることができます。


 しかし今回の件では、多額の金額を修めれば有利にするということを「一般入試」で行っています。一般入試という形を取っている以上、合格水準は当然学力で決められなければなりません。もちろん受験生も「特別な明記はないし学力を基準として採点してくれるだろう」という認識でいるはずです。にもかかわらず「大学側に支払ってくれた金が多いから」という理由で学力が届かない人間を引き上げるのは、一般受験を受けた受験生全員に対する裏切り行為です。もっと言えば先述の認識で受験料を払っているわけですから詐欺と言うこともできるのでは、と私は感じます。非常に卑劣な行為なのです。


 それにしても学術研究の到達点である「真実への探求」とは真逆の、合格基準に関して「嘘の捏造」を行っているというのは笑えませんね。「学力試験と銘打ってるのに金の前では土俵にすら立てない」ということを受験が終わった後に認識させてしまいますから、当事者である他の受験生からすればやるせない気持ちだと思います。合否に関わらず受験生の中でプライドを傷つけられたと感じる方もいると思われます。


『健全なる精神のもとで人類の福祉に貢献する医療人を、自主性を重んじて育成する。』
(http://www.tokyo-med.ac.jp/med/summary.htmlより引用)


 東京医科大学医学科の教育理念から持ってきたものですが、今回逮捕された容疑者だけでなく、大学幹部も当時者なのですから、合否に関する信用を失わせたことに対して「健全なる精神のもとで」責任を負うべきだと私は感じます。

 

 

英語教育: 外国人観光客 が あらわれた !

プルガです。


 みなさん、突然目の前で外国人に遭遇して、道を聞かれた時をイメージしてみてください。私の場合はなんか図体でかくていかつい顔をしたおっs…おじさまが話しかけてくる場面がイメージされましたが皆さんはどうでしょう?


 こんな具体的なイメージでなくても構いませんが、漠然と「嫌だ」とか「怖い」と感じた方もいると思います。私も怖かった時期もありますし、子供のころから海外経験豊富でもなければいきなり話しかけられると怖いという考えの方は多いと思います。


 しかも外国人の方って、全員がそうではないですが、特に男性は体が大きいですよね。女性でもかなり身長が高い方もいますし、私自身が低身長でガリガリなのもありますが、たいていは自分よりも大きいです。


 しかし、最近は話しかけられてもそこまで恐怖心を感じなくなりました。もともとオンライン英会話で少し外国人と話していた経験があるというのもありますが、訪れる外国人側も日本人である私の拙い英語を真剣に聞いてくれるというのが大きいと思います。


 ある時京成線のホームでたまたま外国人に遭遇して、「鶯谷にはどの電車に乗ればいいか?」を聞かれました。ちょうど用事を済ませて時間に余裕があったので、口頭で説明をしてから、実際に同じ電車に乗って連れていくことにしました。


 東京の電車は世界的に見ても複雑です。新宿なんてJRだけで16近くのホームと複数の路線があり、それからさらに地下鉄、京王線小田急線などがあります。そうでなくとも乗り換えが多いので、あまり鉄道インフラが発達していない地域から来た外国人にとっては無事にたどり着けるかすごく不安になるようです。


 実際に鶯谷まで連れていくとすごい感謝されましたね。結構ノリのいい方だったみたいで握手やハグ、「インスタグラムに投稿したいから一緒に写真を撮ってくれ」なんて言われることもありました。

 

 今回の記事では、日本国内で外国人観光客(特に欧米系)に遭遇した際のコツ…というか、性質というかそんな感じです。


・外国人観光客は道を聞くことに積極的です。


 日本人に話しかけるきっかけは基本的に道を尋ねるときです。先述の通り、日本の交通事情はかなり複雑です。特に鉄道については、日本人はあまり感じないかもしれませんが、観光客にとって初見で理解するのがとても難しく、初めて旅行に来る際にはかなり不安に感じているようです。


 外国人観光客は、

「Excuse me, I want to go to ~, How can I get? (~に行きたいんだけど、どうすればいい?)」

といった感じで話しかけるのが多いと思います。まず「~に行きたい」ということを明確に伝えます。日本人によくある「少々お時間いただけませんか?」とかいう前ぶりはないことが多く、すぐに本題に入るので動揺しないようにしっかり聞き取りましょう。


外国人観光客は自前のツアーガイドや地図を持っていて、それを見せてくれることが多いですし、離れた駅にある場所の場合は、最寄り駅までの説明で十分な場合もあります。Googleマップなどのデバイスを用意する時間をもらい、現在地から順に説明をしましょう。時間に余裕があるなら、

「This way. Follow me, please.(こちらです。ついてきてください)」←※もっと丁寧な言い方があるのかもしれませんが、ミリタリー脳なのでこんな英文しか思い浮かびませんでした…

などと言ってから実際に連れていくのも効果的です。


「どうしよう、でも英語自信ないし…」と考える必要はありません。彼らは拙い英語でもがんばって理解する姿勢を持っていますし、場合によっては会話しているのを目にした他の方が助け舟を出してくれる可能性だってあります。まずは話を聞いてみましょう。困った時に他の方に相談するという観光客のために頑張る姿勢を見せるだけでも、観光客の不安は和らぎます。


・外国人観光客は日本の文化だけでなく、日常生活に興味があります。


 観光に来ているわけなので当然と言えば当然ですが、観光客は日本の文化・生活に興味を持っています。そのため、同じ電車に乗ってるだけでもかなり多くの質問を投げかけてくれます。「文化、ってかなり歴史的な詳しいことまで聞いてくるの?」と思うかもしれませんが、あまりそんなことはありません。どちらかというと日常生活に近い質問が多いです。


私の場合、日常生活について聞かれた質問はこんな感じです。

 

「どうして日本の電車はこんなに静かなの?」

「どうして日本の電車とか町はこんなに混んでるの?」

「どうして日本人ってひげをはやさないの?」

「スーツの人も多いけど、休日でも働いてるの?」

 

結構詳しいところだと「トヨタって日本でどれくらい有名なの?」とかがありましたが、基本的には素朴な質問なので、答えはすぐに浮かぶと思います。が、それを英文化しなければならないので、どうしても語彙が障害になります。日ごろから「これって英語でなんて言うんだろう?」という視点を持つことが大切になると思います。素朴な疑問に自分の視点で答えるといった会話を楽しみましょう。


個人的にはヨコハマタイヤを知っている観光客に「どうしてヨコハマタイヤを知ってるの?」と聞いてみたところ、「だって有名じゃん」と返されたのは衝撃でしたけどね(笑)


もちろんこちらの質問にも積極的に答えてくれます。「どんな職業か」、「旅行の目的は何か」、「どこが楽しかった(楽しみにしている)か」など、積極的にコミュニケーションをしましょう。

 

・外国人観光客はノリがいい人も多いです。


 目的地の到着を助けると、かなり感謝されます。またコミュニケーションにおいても積極的にジェスチャーや表情の変化をするので、日本人から見るとすごく感情的に見えます。全員が全員そうではないですが、握手やハグなどもする人もいます。


 もちろんやめてほしいときはしっかり伝えるといいですが、彼らの文化的な側面もあるので日本人同士の会話よりも多少は寛容でいるべきなのではないかと私は感じます。こちら側も積極的にボディーランゲージなどを使い、観光客のノリに合わせると、意外と会話が楽しく感じますし、次に話しかけられた時の抵抗感が薄くなります。


 積極的に自分を出し、雰囲気明るく、会話を全力で楽しむことが最適です。


・おわりに:会話で必要な英語のレベルについて


 日常会話において必要な英語のレベルは、話す場合に使う文法に関しては中学英語レベルでほぼ十分です。聞く場合でも「難しい文法を使っても理解できないだろうという」ことで観光客側も承知の上なので、可能な限りシンプルな文法を好みます。どうしても文法に不安がある方は、中学英語だけでも見直すと良いです。


 一方、単語についてはそれなりのトレーニングが必要です。日本の英語教育では文章を読むための文法や単語を多く習いますが、日常レベルで出てくる単語については意外とノーマークであることが多く、物を説明するにあたってかなりの負担になります。日常生活で「英語ではどんな表現になるか」を常に意識する必要があります。


 しかし、最大の障害はやはり「会話そのものに対する恐怖感です」。電車で観光客に

「どうして日本人は話しけれるとみんな下を向くんだろう?」

と非常に耳の痛い質問をされたことがあります。観光客的には英語が下手かどうかよりもそもそも会話をすることが出来ないことに不満があるようです。


 先述の通り、観光客は拙い英語でも頑張って聞いてくれます。どこぞのスピーチじゃないですが、「おもてなし」の精神を忘れないようにすべきだというわけです。

時事ネタ:日本代表は夢を語れるか。

 プルガです。


 ワールドカップで日本が敗退してしまいましたね…。しかし結果を見れば3対2、しかも途中までは2対0で日本が勝っていたのですからかなりの大健闘だったと思います。見どころもたっぷりありました。改めて日本のサッカーは進化していると感じます。相手のベルギーはFIFAランキング3位の相手です。一方の日本はFIFAランキング61位。これほどまでに差がある相手なのにも関わらず、あそこまで食らいついていけたのは相性とかの話を置いておいても「よくやった」と言わざるを得ません。相手のGKもチェルシーの守護神ですからね。そんな一流キーパーに2ゴールも奪ったのは見事の一言です。


 このように興奮した様子で語っていますが、実は私はサッカーどころかあまりスポーツを見ません。もちろん日本代表のサポーターというわけでもありません。正直最初のグループリーグで一勝もできないまま終わるんじゃないかと思っていた一人です。そこまで熱狂的なファンでもないので比較的今回の結果も冷静に見ているつもりです。


 実は今回のテーマはベルギー戦よりもポーランドです。


 トーナメントの前の試合、グループリーグ最終戦での日本の試合運びにサポーターの反応は賛否が分かれていましたね。


西野監督は冷静に状況を判断して結果を残したのだから見事な采配だった。」


といった称賛する声から


「パス回しばかりの試合運びは最悪だった。あんな試合では夢を語れない。」


 というような試合運びを強く非難する声もありました。たしかに、サポーターからしてみれば、見どころもなく面白くない試合であったと思います。試合中にはポーランドのサポーターからブーイングもあったようですが、それも仕方がないでしょう。


 この構造、以前お話しした「星野君の二塁打」に少し状況が似ていると感じました。西野監督と日本代表の立場は二塁打を選択した星野君の立場というわけですね。これを踏まえて説明したいと思います。


 ポーランドFIFAランキング8位の強豪国です。勢いがあるとはいえ冷静に考えて61位の日本が簡単に打ち破ることのできる相手ではありません。主力選手を投入して全力で戦えばその後のベルギー戦のような果敢な攻めで勝利することができたかもしれませんが、反撃されて負ける可能性も十分ありました。


 しかも全力で戦って一位通過でグループリーグを突破することが出来たとして、消耗した状態でただでさえ不利であるにも関わらず、主力選手のスタミナが持たない状態でイングランドに勝つことが出来たという保証はありませんし、そういう意味ではあの場において正しい戦術など存在しないわけです。


 前回のおさらいですね。絶対的に正しい戦術がない場合、決定的な反則行為以外でどのような戦術を取るのかは、当事者に委ねられます。この場合は監督と日本代表のプレイに委ねられているということです。


 その結果、日本代表は主力を温存しながらギリギリのラインでグループリーグを突破することが出来ました。日本代表は結果を残すことが出来たのです。もう一度言いますが、ポーランドが世界ランキング8位に対して日本代表は世界ランキング61位とはるかに格下です。うまく抑える事すら困難な相手であるということは事実です。


 たしかに観客としては面白くない試合だったかもしれません。しかしそのような戦術をポーランド戦で取ったため、主力を温存することが出来てベルギー相手に食らいつくことができたと考えることはできませんか。そういう意味で日本代表は「役割を十分に果たした」と言えると考えられます。


 スポーツの世界は「正々堂々、全力でやれば勝てる」という世界ではありません。プロの世界はもっとシビアで、結果を出すことが常に求められます。そうした中で勢いに乗っているというだけで判断をうかつにするとすぐに足元をすくわれてしまいます。特にワールドカップでは次々と強豪国が敗退する世界ですから、尚更慎重さが必要になる訳です。そういう意味でブーイングをうけながらも他の試合を確認して、最もうまく「おつり」を使い切った西野監督に対して私は大いに評価できると思います。


 一つ一つの試合だけ見ればいろいろ賛否があると思いますが、冷静な視点で試合の流れを見る必要があるわけです。スポーツは「勝敗」はありますが「善悪」はほとんどない世界であることを忘れてはいけません。日本の道徳観によくある「スポーツで精神が鍛えられる」というのもまやかしです。実力の他に強かさ、緻密さも必要な世界なのです。


 私個人の総括ですが、今大会の日本代表は幸運に恵まれているなどもありましたが、「グループリーグを突破できるのか」という不安を打ち払い、ベスト8には届かずとも不利な状況下で最高のパフォーマンスをしてくれたと感じます。次のワールドカップに期待をしているサポーターもいますし、今後も十分に「夢を語れる」と思いますね。


 …これはおまけというか余談ですが、こういう大会で一部の方々が渋谷や道頓堀で騒ぐのって何なんでしょう?それで財布を落としたり、痴漢に合ったりして文句を垂れられても…という感じが毎回してます。やっぱり冷静さを失ってはいけないということですね。

道徳教育って本当に必要なのか(教材を踏まえて)その2

 プルガです。

 

 先週「星野君の二塁打」について解説・考察をしましたが、今回はその続きです早速考察から入るので、どんな内容だったか忘れてしまった方は、その1をご覧ください。

 

・監督の評価は正しかったか。


 監督の試合後の評価の問題に移りましょう。試合後、監督は星野君を出場停止の制裁を加えるのですが、私が思うに、これは最もやってはいけない部類の評価であると思います。


 まず、星野君自身についてです。彼は自分が打ちたいからという理由で、確かにチームの連携を乱す行為をした可能性があると言えます。それについては、野球は団体競技ですからチームメイトとの連携を考えるよう、しっかり注意する必要があります。

 

 しかし、彼自身「チームを負けさせよう」という悪意がある訳ではありません。あくまでチームの勝利を目指すという考え方を持っています。その中でバントをするよりは自分がヒットを打った方が勝利につながるという善意の考え方なのです。もし彼がもともとヒットを打つ打者でなければ批判しても仕方がないかもしれませんが、彼は自分の職務を果たそうとしていたわけです。しかもそれによって彼は結果を出すことが出来ました。それについてはチームメイトと同様に賞賛してしかるべきです。例えば、


 「星野、お前が焦っていたのもわかるが、指示には従ってくれなければ困る。野球はチーム戦だから、連携を崩すことは命取りにもなるかもしれないからな。次からは気を付けてくれ。だが、ヒットを打ってチームを救ってくれたのは感謝したい。お前のヒットのおかげで全国大会に出場できたのだからな。次から俺も星野の力をもっと信じるよ。」


程度に言えば十分だと思います。


 しかし監督は一方的に星野君のプレイに対して否定しかせずに、挙句の果てに彼が試合に出場する権利を奪っているわけですよね。善意で頑張ったことに対して報酬を与えない、これは子供が「自分がどんなに頑張っても意味ないんだ」と認識してしまうため教育としては最悪です。「スポーツは理不尽なこともあるから頑張っても無駄なことが多い」ということを子供に教え込むつもりなら話は別ですが。


 しかも、監督がここまで重い制裁をする理由が謎です。チームメイトも星野君のプレイを良く思っておらず、激しく非難しているのなら、チームメイトの軋轢を防ぐための措置として行う可能性があるかもしれません。しかし、ランナーだった山本君ですら、


「だけど、先生、二壘打をぶつぱなしてR中学をすくつたんですから――。」


 と、非難するどころかヒッティングに出た星野君を支持しているのです(本当は監督が言うべき発言なのですがね、これ…)。塁に出ている山本君がこれほど支持しているのですし、監督の屁理屈にチームメンバーが頭を深く垂れたとあるので、多分星野君をチームメンバーはして支持していたのだと考えられます。つまりあのヒットを良く思っていないのは監督だけなのです。
 
 野球に関して深い知識がないのでよくわからないのですが、確かに監督の指示は大切です。しかし、送りバントをしても1つアウトカウントがとられた状態で2塁のランナーを帰塁させなければならない(しかも山本君は足が遅い)のですから、残塁して攻撃が終わる可能性も十分にあります。そもそもバントに失敗することすらあり得ます。監督の指示が確実とは限らないのです。


 監督の指示が確実でないのならどちらが確実かを考えるのは、星野君です。なぜなら星野君は現場の人間なのですから。しかも自分を信じた星野君は結果を出したのですから、むしろ監督が自分の采配が間違っていたと認識しなければなりません。


 結局、この監督はどんな屁理屈を並べてもセリフ通り、「自分の指示に従わずに結果を出した星野君が気に入らない」のです。もっと言えば「俺の出番を奪いやがって!」ということなのではないでしょうか。だから子供を押さえつけるべく、「俺の指示に従わないやつはこうなるんだ」という見せしめで星野君に厳しい制裁を下しているのでしょう。まるで動物の調教です。が、日本の組織ではよくある構図にも思われます。


 それにしてもひどい理屈ですよね。私はこの監督に「あなたに犠牲の精神がないのでは?」と質問したくなります。


 ただ、こういう大人ってよくいるんですよね。都合のいいときは自分の手柄にして都合が悪いときは他人を蹴落とすような人を、私の場合は高校時代の顧問がこんな感じの性格だったかなと思います。自分もそうならないように気を付けなければ……あれ、これって監督を反面教師にする教材でしたっけ?


 ・設問は適切か。


 最後に教材に掲載されている設問について言及していきます。せっかくなので、皆さんも解答できるか考えて頂きたいと思います。

 

 まず、一問目、

 
 「うつむいたまま動かなくなった星野君は、どんなことを考えていたのでしょう。」
※星野君は監督から出場禁止を言い渡された後、他のメンバーが顔を上げる中、1人だけ俯いたままになります。


 出ました。自分とは関係ない赤の他人の気持ちを考えさせる、日本の道徳あるある問題です。毎回思うのですが、問題文が良くありませんね。これでは答えがあるかのように錯覚してしまいます。そんなの星野君と、これを書いた作者にしかわかりません。しかも登場人物の細かな心理描写もないので自分を完全に投影することもできないのです。こんなの当たり障りのなさそうな答えを言って終わりです。これほどつまらない問題はありません。正直私は解答欄に「知らねーよ」と書きたくなりますがね。


 ただ、本当にひどい設問はこの後にあります。二問目がこちら。


「うつむいている星野君にあなたが声をかけるとしたら何と言いますか。」


 いやいや、そんな状態の人に声をかける人いないでしょう。この設問作成者に「お前はなんて言うんだよ!?」と私は言いたいです。問題作成者の言う“あなた”がチームメイトとしてなのかただの傍観者としてなのかがわかりませんが、いずれも何を言っても同じです。「お前に俺の何がわかるんだ!」と返されれば何も言えなくなります


 チームメイトは星野君が出場できないのに、出場するでしょうし、傍観者はそもそもチームと関係ない人物なのですから、星野君の気持ちを完全に理解できる人間なんていません。だから星野君に先述の発言をされるとかける言葉が無くなるのです。しかも理不尽な制裁の件で「頑張ったのに、報われない」という風に感じているでしょうから(むしろそう感じなければおかしいのですが)、尚更星野君からそのように言われる可能性が高いです。こんな状態の星野君を言葉で立ち直らせるのは不可能です。


 何を言っても無駄なのはわかっているので、真剣に回答する気すら湧きません。なのでとりあえず私は「m9(^Д^)プギャーwww」という言葉を解答欄に書いておきます(笑)。


 最後に3問目、すでに物語に関する設問がおかしいのに今度は明後日の方向に話題が飛躍します


 「誰もがきまりを守らず、義務を果たさなかったら、どんな世の中になるのでしょう。」


 どうやらこの問題作成者はどんな手を使ってでも星野君を悪者にしたいようですね。まず“決まりを守らず”の部分ですが、先述の通り、作中の状況下では、最終判断を下すのはプレイしている選手です。監督の言葉は助言にはなりますが、即座に決定事項になるわけではありません。もちろん、監督の指示に従わないことは野球のルールに反しているわけでもありません。


 次に“義務を果たさなかった”という項目ですが、これも明らかに違います。チームメンバーの義務は「勝つために頑張る」ということです。星野君は義務を果たしていますし、しかも成果まで上げているのです。そういう人間を批判することは、先述の通り教育としては最悪の方法です。


 この段階ですでに設問の作成者が文章内容をまともに読解出来ていないのが分かりますが、その後の問いに「どんな世の中になるでしょう」という問い。子供に対する説教でもないのにそんなありえない世界の話をしてどうなるのでしょうか?そうなった場合は決まってます。北○の拳さながらの物理的な力が物を言う世紀末世界です。話の飛躍ぶりが凄すぎて、怒りとかを通り越して笑えてきます。まともに考える気にもなりません。答えは「世界は核の炎に包まれた」、これで決まりです。
 
 
 文章も自主性、主体性をつぶすような文章ですし、設問も質が良くないので教材として本当にこれを教科書に乗せていいものか、私はとても疑問におもいますね。
 

・おわりに

 このように教材としても話の内容がよくない部類のものであるにも関わらず、設問ですら突っ込みどころ満載の状態です。一体こんなもので何を評価すればいいのか、先生も困っていると思われます。教材の質が良くなければ、教材研究のためにより多くの時間がとられてしまいます。しかし、部活や自分の科目の教材研究で特に中学の教員は道徳の教材研究をしている時間はありません。文章がこれではいくら研究しても面白い授業を作るのは難しいです。


 子供は自主性や努力をすることが馬鹿らしく感じる、教員は教材研究に時間をとられて疲弊する。生徒も教員も得をしない、現状の道徳の教科化にはそんな印象があります」。

道徳教育って必要なのか(教材編) その1

 プルガです。

 

 道徳教育に関して、ネット上で話題になっている「星野君の二塁打」という教材を見つけたので、それを踏まえてもう少し現状の道徳教育に関する不満を話したいと思います。


 その前にもう少し教材化に関する前提をお話ししたいと思います。教科化するにあたり、先生が「評価するもの」です。これに関しては「内面の変化」がヒントになるそうですが、まったくもって謎です。そもそも内面って絶対に変化しなければならないのでしょうか?


 以前の記事でも話した通り、道徳教育がなくとももとから思いやりがある生徒は存在します。そういう生徒が持ついい気質を崩すような形になっても「内面の変化」として評価されるのでしょうか?逆に言えば内面が変わらないということは評価の対象にならないのでしょうか?


 この評価基準は実に不確かなものです。あとは授業の発話なども評価されるようですが、これも基準が曖昧です。教師の裁量にかかっていると言ってもいいでしょう。しかし教師は道徳教育に関してプロではありません。むしろ素人です。そんな人たちに内面の変化をこのような曖昧な基準で評価されるというのは、怖いですね。


 また道徳の指導法としては、「答えありき」というスタイルは変わらないという意見もあるため、場合によっては「教師にとって都合のよい解答=内面の変化」とされる可能性もあります。そうなったら道徳という教科は単なる「答え当てゲーム」になってしまいますね。正直どんな形になるか、不安です。


 そして今回取り上げる教材も答えありきの指導ではよろしくない感じの教材なんですよね…。


・「星野君の二塁打」とは


 星野君の二塁打は新たな道徳の教科書の教材になっている話で、対象年齢は小学校6年生のようです。話の内容はだいたいこんな感じです。


 甲子園の選手権大会への出場がかかった試合で、9回裏同点でノーアウト、ランナー一塁。バッターは主人公の星野君のわけですが、彼は監督から「送りバントをしろ」という風に言われます。一方の星野君も一度は了承しますが、この日一度もヒットを打てていないという焦燥感からヒッティングに出てしまいます。しかし結果として、一塁の山本君の帰還による決勝点への起点となったとともに、二塁打を上げることに成功します。

 

 しかし翌日、監督は

 

「星野君は小さく言えば俺との約束を破り、大きく言えばチームの統制を乱した。犠牲の精神が分からないやつは社会に出てもうまくやっていけない。」

 

などと言い、

 

「罰として星野君を甲子園に出場禁止にする。仮にそれでチームが負けてもそれはしかたのないことだと思う。」

 

と、決勝点をあげた星野君を出場禁止にするのです。


だいたいこんな感じです。ネットの掲示板では「バントするべき」、「ヒッティングに出るべき」とかの意見が出ていますが、結構“野球の戦術”としての話がメインになってしまっているので、ここではあくまで道徳教育の話としてこの教材にコメントしていきたいと思います。


・星野君の行為はチームの統制を乱す行為か。


まず論点として、主人公の星野君の行為を持っていきます。星野君は監督とのやり取りで星野君は「はぁ」と曖昧な返事をしました。これとその後の心情描写を踏まえると、「本当は納得がいってないけど、とりあえずは了承した」と考えるのが妥当であると思われます。

 

 納得のいくことであろうとなかろうと、一度了解の意思表示をしてしまった以上、監督の提案に乗ったことになります。少なくとも監督、控えている大川君は「星野はバントをする」という認識が形成されます。しかし、問題はこの時の描写に出ていない山本君です。 私は、野球は専門ではないのですが、山本君も星野君が「送りバントをする」という認識だった、と考えるのが妥当であると思います。

 

 星野君は長距離打者です。ゴロ球よりはフライになりやすいと言えるでしょう。なので、山本君が出塁する気が高いということは、フライではなくゴロ球、要するにバントをすると認識している可能性が高いです。これでは山本君と星野君の間に連携が取れていないことになります。そうであれば確かに連携を崩したとは言えます(統制というところまで行くかは微妙ですが…。)


 では星野君はどうするべきだったか。監督だけではなく他のチームメイトも含めてしっかり話し合うべきだったのではないかと私は思います。監督はダメでもチームメイトは星野君にヒッティングを許可するかもしれません。監督はあくまでサポートなわけですから最後に決定権を持つのはプレイをするチームメンバーです。チームメイトの承諾は得ておくべきだったのではないかと思います。


統制というよりは、連携の問題ですね。統制も連携の一環ではありますから、強引ながら統制を乱したということはできる、のかもしれません…。


今回は長くなったのでここまでにします。次回は監督の評価、設問について言及したいと思います。

英語の勉強:長文のススメ

プルガです。


 英語において「長文」という単語を聞いた瞬間、思わず顔をしかめてしまった方もいると思います。英語における長文は、苦手な方にとっては一種の死刑宣告のようなもので、英単語がびっしり並んでいるものを見た瞬間、気分を害するというレベルの方もいると思います。


 しかし受験の英語では、大問のいくつかは必ず長文が出題されます。センター試験は勿論のこと、高校の入試問題、資格試験などおおよそ英語の試験において長文は確実に出題されるので、逃げることはできません。


 「いや、満点なんか狙ってないし、他の問題で点数稼ぐから長文なんか別にいいよ。」と考えている方もいるでしょう。しかし、それは大きな間違いです。なぜならどのテストでも長文の点数配分は重く設定されているためです。例えばセンター試験の英語を見てみましょう。センター試験の英語では、文法問題はほとんど1問2点です。それに対して長文は1問4点か5点、しかも合計点数は5割を超えます。また、TOEIC L&Rテストでは、リーディングセクション100問のうち所謂パート7とよばれる読解問題は53、4問が出されており、やはり半分以上は長文問題です。


 つまり、英語の試験でいい点を取るためにはどうしても長文が欠かせないわけです。極端に言えば、長文が読めても文法が全くできない方が、文法は完璧なのに長文が全然わからない人よりも高い点数が取れます。


 とはいえ長文ってやっぱり大変です。先日兄と韓国へ旅行に行きました。その際に西大門刑務所に向かったのですが、いくつかの展示物には日本語での表記がありましたが、大半はハングル語か英語しかなく、英語を解読しなければなりませんでした。私も兄もTOEICスコアは700くらいで、戦争の話には興味を持っているので普通についてこれるはずなのですが、語彙がかなり複雑で、ネットで単語を調べ、二人で議論しながら仲良く英文の和訳にいそしんでいました(笑)。最後の方になるとぐったりです。


 しかし、少なくとも私たちは長文に対して拒否反応を起こしているわけではありません。単語についてもわからなければ調べますし、かなり文量があっても最初からしっかり和訳していこうという意識はもってます(語彙とかには悩まされっぱなしですが…)。長文に慣れることができれば、英語の点数は確実に良くなります。もちろん、長文のメリットはそれだけではありません。


 今回の記事では、長文に早いうちから馴染んでおくことが英語学習においてどのようなメリットがあるのかを考察していきます。

 


・そもそも長文問題がなぜあるのか?


 メリットの話をする前に、何故長文問題があるのか説明したいと思います。先日ボランティアの中学3年生の生徒さん向けに英語のテストを作りました。模試を想定している問題で、もちろん長文問題も入っています。テスト問題作成に当たり、長文を入れずその分を文法問題に置き換えることも可能でしたが、長文問題は最初から入れるつもりでした。なぜなら「英語に向き合うストレスを体験してもらう」ためです。


 文法問題でも文を和訳しなければならない問題はあります。しかし、文法問題ではたった一文をじっくり日本語に訳すことが出来るため、あまり英語に対するストレスを感じにくいのです。一方、長文の場合は文量の都合上、一文一文ゆっくりと読み進めていく時間はありません。量の問題、時間の問題という2つを、正確性をそのままにどのように処理することができるかを図っているわけです。おそらく長文の問題作成者は英語に向き合うストレスという視点を持って、難易度を設定しているのではないかと思われます。


 そういう意味では「生徒たちを苦しめるために長文問題を作っている」というのもあながち間違いではないのかもしれませんね。

 

 次にメリットに移っていきたいと思います。

 

・長文のメリット:文法の復習


 長文は今まで習ってきた文法が使われている文章から出題されます。語数の少ない分では基本的な用法、逆に語数の多い分では発展的な用法や、異なる文法の組み合わせが使われること多いです。こういった文章をしっかり処理するにはその文が何の文法で書かれているのかを正確に理解しなければなりません。


 勿論文法の基本的な用法が分かっていなければ、語数の多い文を理解することが非常に困難です(語彙力があれば不可能ではない)。また、文法問題では完璧にわかるのに長文だと何の文法かわからないという方もいます。長文で文法を理解するにはこれまでやった部分を全体的に理解しておかなければならないのです。


・長文のメリット:語彙の復習


 文法の復習は学校の定期テストや受験問題に主に該当しますが、語彙の復習は、それだけでなく、各種資格試験におけるポイントでもあります。


 「単語帳で一回覚えた単語なんだけど、何だっけ?」という経験、多分皆さんにもあると思います。単語帳だけで単語を完璧に記憶したという方は、なかなかいないと思います。多くの方は実際にどんな感じで使われているかを見て、またある時は実際に使ってみて単語を覚えます。長文では単語がどういう使い方をされているのかを確認することが出来ます。予備校の先生だと「一回長文読んでわからなかった語彙は全てメモする」という形で生徒の語彙力を上げていらっしゃる方もいます。

 

 特に資格試験の問題だとこれまで触れていない語彙が出ることが多いので、よく確認して復習しておくと良いでしょう。


・長文のメリット:話の構造が学習できる。


 国語でこんな問題があった記憶があります。

 

「傍線部1“それ”がさすものを書き抜きなさい。」

 

 英語でもたびたび“it”が意味するものを何語で抜きだしなさい。という問題が出ることがあります。また、英語の論説・スピーチ文は文構造が多少異なるものの、

 

 前置き→調査結果or仮定→理由分析→結論

 

 という文構造になっているのは日本語のそれと変わりません。「この段落は全体に対して何の役割を持っているのか」など、国語でも学習していることを英語でも同じように学習しているのです。また語彙においても話の構造として出てくる“at first”、“finally”などの語彙は文法問題ではなかなか出ませんが、長文においては話の流れを明確にする重要単語です。

 

 国語で「しかし」は大切と教わった方もいると思いますが、やはり英語も「but」が大事という点で同じです。

 

 英語の長文を読み解くには、国語の文構造の理解をしていることも大切になるということですね。


・長文のメリット:その他の知識も学べる。


 論説タイプの長文に特に多いのですが、今まで知らなかった知識に関する話題がテーマになることがあります。私が携わったテーマでは「日本の自動販売機について」、「地図記号の変化」など大学生の私でも馴染みのないテーマの文が出ることがあります。こうした背景情報から新たな知識を得ることが出来ます。


「背景知識なんて役に立つのか?」と考えている方もいるでしょう。しかし国語や英語の文章問題のテーマは基本的にランダムで予測ができません。すなわちどの知識が役に立つかわからないということです。大学名は伏せますが、とある大学では「パックマン」というゲームに関する問題が出ました。他にも「チョコレートの工程」など出題テーマは多様です。何が役に立つか、立たないかは誰にもわかりません。少しでも興味が持てる内容だったら、長文の背景知識を知っておくのは効果的です。


・おわりに


 長文になじむとこれらのメリットがあると考えられます。一つ一つ文法や語彙を参考書を見て復習するよりも、長文でわからなかった部分をしらみつぶしに復習する方が効率よく定着することが出来ると私は思います

 

 また背景知識についてはなかなか効果が侮れません。同じ文は2度と目にすることはないかもしれませんが、似ている文章を見る可能性はあります。もちろん背景情報を知っていれば、知らない人よりも理解度で大きく差が付きます。何事にも知識を得るという姿勢が大事ということですね。

 

 これらの利点を活かすためには、まずは長文に馴染まなければなりません。最初のうちは大変ですが、量をこなせば抵抗感はなくなるはずです。抵抗感がなくなるころには長文でそこそこの点数は取れているでしょう。

 

 なかなか大変なことですが、長文はどれくらい頑張ったかで差が出ます。早い段階から長文に挑戦する姿勢を持つべきであると言えます。