Volunteacher:大学生講師のブログ

教育系ボランティアで教師をしている大学生のブログです。教育に関する話題や、趣味の話題がメインです。

勉強する気にさせるということ。

 プルガです。

 

 よく「子供が勉強する気にさせることが(特に塾の)先生の仕事」という風に考えている方がいます。たしかに子供が勉強する気になることは成績の向上には関係してきますが、子供を勉強する気にさせることは結構大変なことです。

 

今回の記事では、(主に中学生が)勉強に対するやる気を出させるためにどうするかについて、私的な考察をしていきたいと思います。

 

・日常的に勉強させるのは、至難の業

 

 勉強に対するやる気と一言で言っても、その動機によって性質が異なってきます。

 

究極的に言えば、「ほぼ趣味のように形で勝手に勉強する」というモチベーションが理想です。しかし、これを子供に強いるのは至難の業です。現代社会の日本では娯楽があふれています。特にスマホの普及は年々増えつつあり、内閣府の調査では、中学生のスマホの利用率は58.1%になるとしています。

 

その中で、学習目的でスマホ利用を始めたという学生はまずいないでしょう。大半が連絡手段を除けばSNSやアプリゲームを目的にしているはずです。実際私が担当している生徒さんになぜスマホが欲しいか聞いてみたところ、YouTubeを使ってみたい、やりたいゲームがある、などが多かった印象です。それができる機器が身近にあるのにそういった娯楽は一切せずに、特にやりたいわけでもない勉強だけするというのは現実的ではありません。

 

SNSやアプリゲームなどの娯楽に比べたら、勉強はストレスが溜まるものなので、やりたがらないのも当たり前の感情です。それに対してみだりに「勉強しなさい!」とけしかければ反発されるに決まっていますし、ますます勉強が嫌いになることでしょう。

 

 では、勉強させることは不可能なのでしょうか?恐らく私はそうではないと考えます。


それには2つの要素、「勉強に対するストレスをできるだけ和らげること」と「勉強にはストレスを貯めてまでやる価値があると思わせること」が必要です。

 

・勉強に対するストレスをできるだけ和らげるために。

 

 勉強に対するストレスを和らげるために大切なことは、「噛み砕いて説明すること」です。教科書にある文章は公の文書なので、当然硬い言葉で記載されています。これをそのまま記憶するのは、「よく噛んでいない物を無理やり飲み込む」ようなものです。当然拒否反応を起こし、すぐに忘れるという形で吐き出されることでしょう。そこで、可能な限り目線を生徒に合わせなければなりません。中学生に馴染みのあるたとえ話が持ち出せれば最高です。自分の日常とリンクするので強く印象に残ります。あまりいい例えではないかもしれませんが、一例を挙げます。

 

例えば私は、「英語の文は必ず主語と動詞がある」という話を「牛丼」に結び付けて説明しています。主語はご飯で、動詞は牛肉です。目的語や補語は、「ネギ玉牛丼」を頼んだ時のネギやたまごなど、その他修飾語は玉ねぎとか紅ショウガとかです。

 

牛丼を注文して紅ショウガが無くてもそこまで困ることはありません。玉ねぎが入ってないとしても紅ショウガよりは怒るかもしれませんが、まだ店員に文句を言う決定打にはならないと思います。ところが、牛丼を注文したのに牛肉やご飯が入ってなかったら絶対に文句を言いますよね。なぜならこれらは「牛丼」というものを構成するのになくてはならないからです。

 

あくまで一例ですが、中学生にこの話をすると比較的ウケがいいです。牛丼に関して馴染みがあるからというのが最大の理由だと思います。

 

このような形でできるだけ中学生の馴染みのあるものに例えることが知識を記憶するストレスを減らすきっかけになりますし、場合によっては自分でそうした姿勢を持つことすらもあり得ます。そのためには堅苦しい教科書の表現をいかに面白く噛み砕けるかがポイントになります。


・勉強には価値があると思わせるために。

 

 大人の方はなぜ学生時代の終わりまでに勉強をすることが大事かを様々な形で認識・理解しています方が多いです。その中でも多くの方は特に受験がその機会だったと考えられます。受験でいい結果が出せないのは致命的です。そうならないためにも子供に対して「勉強しなさい」と言います。

 

しかし、中学生はそうした大人の意図を把握することは稀です。なぜなら中学生にとって受験は未来の出来事だからです。中学受験をした場合は少し話が変わりますが、勉強のやる気の出ない中学生は “積極的に成績で競争をした経験”、もっと言えばそれで満足のいく結果を残したこといない人が多いのですし、勿論勉強することに価値を見いだせていません。

 

一方、中学校の成績の上位の方は勉強のやる気を競争に見出していることがあります。一部の方で、「勉強は一種のゲームだ」と考えているという話を聞いたこともあります。このように言えるのはなぜでしょうか?そのためにはまずゲームがなぜ面白いかを説明する必要があります。

 

ゲームがなぜ面白いと感じるかは、実にシンプルな理由です。ゲームはやれば必ず成果になります。たくさんプレイをして、敵を倒せば、その分レベルが上がる、クリアできる、そうした単純なシステムでできています。最初はうまくいかなかったけど、やり続けたら必ず報われる、しかも手軽でストレスを感じない。これがゲームの魅力なのです。

 

勿論勉強はゲームよりも手軽ではありませんが、勉強をゲームのように喩えている人は、勉強をして報われた経験がある人です。勉強をすることにやれば上位に食い込めること、すなわち「報われる」という価値を持っています。

 

そのためには競争の機会を多く設け、短期間の成果を目標にすることで手軽さを持たせること。そして結果に対し良かったところはしっかり褒めて、報われる感覚を持たせることが大切です。

 

人間は「やれば報われる」ことに価値を見出すのは当然です。「やっても報われない」ことは無駄だとわかっているからです。勉強に価値を持たせるには、「報われた感覚」が欠かせないと言えます。


・おわりに

 

なかなか勉強ってやる気にならないものですよね。しかしやらなければならない物であるのもまた事実。どうあがいても避けられないなら、工夫が必要です。

 

今回紹介したのは、性質は異なりますが「楽しい」と思ってもらうことで共通しています。娯楽があふれているからこそ、こうした工夫がなければ勉強のやる気は起こりません。逆に「勉強しなさい」と言わなくても、楽しいと思えば勉強はできます。

 

 私自身、生徒が勉強を「楽しい」と思ってもらえるようにもっと頑張らなければと感じます。

 

 それでは。